—— PEPPERLANDの2026年機関誌に寄稿した文章を掲載しています —–
加西市のvoidにて行われたuneの創作楽器展に際して行われた、能勢伊勢雄氏がゲスト出演した7/13日のトークショーに、このペパーランド50周年のイベントの出演者や関係者の方々が岡山から多数ご来場頂き、皆様最後まで熱心に参加していただいたこともあり、その感謝、お礼も兼ねての念願のペパーランド参り。またフライヤーにあった「なぜ今の時代に「慈しみ主義」が必要なのか」人工知能と仏教、慈悲を考察するという内容にも興味を惹かれ、はるばる奈良から伺いました。
当日の各ライブパフォーマンスはそれぞれピュアな創意工夫や実験精神が色濃く見える素晴らしいもので、中でも京都から移住後、新たな地で自身の奇天烈なスタイルをステージにて単身挑戦、壊れたホテル氏の枯れたドローンの上で激しく躍動するケンジル・ビエンの姿には共感を覚えました。
ハナムラ氏のパフォーマンスでは、脱構築的なメタ展開で話が進行する中、客席、自分の前の席から壇上に突然現れて話し始めた松本享平さんの妙に聡明な返答と声のトーン、存在が不思議で、虚構と現実のラインを更に怪しくしていたのが印象に残っています。
休憩後のトークショーは超満員、岡山の地下のカルチャー・思想を支えてきた時空間を体験できると楽しみにして臨みました。
トークショーの短い時間ではとても答えの出ないテーマではあると思いましたが、インドの仏教体系を図解する能勢氏の配布資料にまず痺れ、ハナムラ氏が語る言葉は、危機意識の立脚点において自分にとっては共感の連続で、「慈しみ主義」、またレジュメの下部に注釈であった中村元をはじめとしたインド原始仏教やインド哲学の本を集めて読んでいる所です。
デジタルとアナログというのはその先端では互いに相互補完するという個人的な観察があります。これはサイマティクスをテーマに作品に取り組んだ際の観察から得た実感なのですが、いわばデジタルはアナログを開拓して自身を補完していく、という様なものです。現状に照らして考えるとAI=デジタルが進化する事で、個々人の思考空間を開拓し、それがデジタルのビット間をさらに細かく補完していく、というように、これは悲しいかなデジタルというのは現実化した事象をもの凄い速度で吸収して複製していくという性質があるのではないかと思います。複製はどこまで行ってもバーチャルでしかあり得ないだろうと少し前までは楽観視していましたが、この頃は最適化や合理化の波に私たちが全てを預けて、思考努力を諦めてしまうラインを超えるのは時間の問題の様な気もしています。言語以外の方法でのレゾネーションが今後の鍵の様な気はしていますが、この異常に加速しているループは未来を想像するより進化が早くて先が読めません。
プルシャ(精神)が3つのグナを認識していないとプラクリティ(物質)は発生しない。グナのバランスの崩れ=回転からあらゆる現象や事象が誕生した。という話がありました。サットバ・ラジャス・タマスの3グナの回転により生の輪廻の輪は生まれ、それこそが全て。この世界においてはその影響から逃れられるものは何一つないという。果たして人工知能はこの3グナの回転そのものを計算により複製して根源的な運動を作り出すことが可能なのか。やはり鏡としてどこまでいっても対象を映し出すことしか出来ないのか。この辺りのことをお二人に尋ねてみたいと思いました。